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41歳でリストラに遭い旅に出てその後のこと、現在のことや旅行記で書かなかったことを思い出しながら綴っていきます。
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気軽に文章を書いてポイントを貯められるというので shinobiクラウドソーシング というのに登録してみた。

自分の書けそうなものを探してどんどん書いていくととうので昨日1日書いてましたが結構書けるもんです。

いろいろ調べながら書くのでへーこんなことあるんだなんて新しい知識もついたりします。

ちょっとショックだったのは一生懸命文章を書き上げてイザ投稿と思いボタンをクリックすると別の人によって投稿されていたときです。

結構力入れて書いてただけに残念感と悔しさがこみ上げてきました。

やっぱり、これだと思ったらさっさと書いて投稿するのがいいみたいです。

でもさすがに文章考えるのもエネルギー使うので今日はやめときます。


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1987/08/01
広州から上海へ硬座37時間(2)
 
日が暮れてきて車内も暗くなる。
 
席で少し眠る。
 
いくつか駅に止まったようだ。
 
いつのまにか乗客が増えている。
 
通路に座り込んでいる乳飲み子を連れた女性がいたり大きなズダ袋に座る農民がいたり。
 
なんか生きた鶏なんか持ち込んでる人もいる。
 
硬座は中国社会の縮図なんてガイドブックに書いてあったけど、多少覚悟はしていたんだけど、実際体験してみると想像以上であった。
 
夕飯は車内販売の弁当だ。
 
発泡スチロールでできた弁当箱をたくさん詰め込んだジュラルミン製の箱を押してくる販売員がやってくる。
 
弁当の種類は一種類しかなく、日本のように幕の内だのうなぎ弁当だの選択することはできない。
 
みんなそれを争うように買うので我々も負けずにその弁当を買う。
 
人民元の握り締め販売員の方に差し出す。
 
販売員は面倒くさそうにお金を受け取りおつりと弁当をこっちによこす。
 
なんとか弁当をゲット。
 
弁当はご飯に野菜の炒め物やらゆで卵やらを強引に詰めたもので、見た目は悪いけど、味はまあまあ。
 
まあ、お腹が減っていたせいもあるけど結構おいしく感じた。
 
ただ、ご飯はパサパサだ。
 
日本のご飯ように粘り気が全然ない。
 
でもここは中国なんだからそんな贅沢など言ってられないのだ。
 
お腹がいぱいになったらトイレに行きたくなった。
 
長距離列車なので車両内に当然トイレはついてるのだが、そこに行くまでが大変。
 
通路には席の無い乗客が座り込んでいるので座りこんでる人と人の間に足を入れて進んでいく。
 
やっとたどり着いても先客が入っていて待たなくてはいけない。
 
しかもこのトイレは停車中は使用できない。
 
駅に停車中は乗務員がやってきて鍵をかけて中に入れないようにする。
 
なぜかというと、排泄物は固形であろうが液体であろうが全て直接線路に落ちるようになっているからだ。
 
だからうかつに列車が走っている時、窓のそばにもたれていると雨でもないのに雫が顔かかるときがあるのだ。
 
実際私はその時そのことに気がつかず、なんで雨も降ってないのに水がかかるんだろうと思ってた。。。
 
今思えば恐ろしい話だ。
 
さてトイレから行って戻ってくると、なんか知らない人が私の席に座っている。
 
むむむ。
 
確かに誰も座ってないんだからいない間くらい座ってもいいんだけど。
 
油断もスキもないなぁ。
 
まあ、こっちが戻ってきたら素直にどくからいいんだけど。
 
窓の外を眺めるが、ほとんど明かりがない。
 
ところどころにポツンポツンとオレンジ色の灯りがあるのは民家なんだろうか?
 
私は窓際によっかかり目を閉じ眠むることにした。
 
誰かの歌声が聞こえる。
 
むせ返るような熱気と弁当と汗と小便の混ざったような臭気が満ちる。
 
こうして硬座の夜は更けていくのだった。

 
1987/08/01
広州から上海へ硬座37時間(1)
 
やっとのことで切符を無事購入したが出発時間は9時半でまだまだ時間がある。
 
売店に行って水やパン等を購入し駅構内で時間待ち。
 
駅には沢山の人民たちが沢山の荷物を持って座り込んでいる。
 
私と津元もバックパックを床におろしてそこに座り込む。
 
喉が渇いたので水を飲む。
 
津元は「地球の歩き方」を見て上海の地図を見ている。
 
これから長い旅が始まろうとしていた。
 
出発時間が近づくと我々二人は切符を持って改札を抜けホームに入っていった。
 
列車が着くとおびただしい人の群れが我先にと列車向かいドアに殺到する。
 
窓から乗り込もうとしているやつもいる。
 
なんだなんだ?
 
なんでそんなに急ぐ?
 
席は自由席じゃなくて指定で決まってるんだからそんなに急がなくてもいいんじゃないのか?
 
あとからゆっくり乗ればいいのじゃないのか?
 
しかし後でその訳はわかった。
 
席の問題ではなかったのだ。
 
みな信じられないほどたくさんの荷物を持ち込んでいる。
 
その大量の荷物の置き場(網棚)少しでも広く確保するために我先にと車両に乗りこんだのだ。
 
あちこちで怒号が飛び交う車内。
 
あっという間だった。
 
網棚はすべて占領されていた。
 
まさに戦争である。
 
我々は席は切符で指定されていて確保できたが網棚までは確保されていないことに気がついたのだ。
 
しょうがないのでバックパックは椅子のしたにむりやりねじ込む。
 
まあ、ここだと盗まれる心配も少ないから却っていいかも、、なーんていうのはおおきな間違いだということは次の日気づくのであるが・・・。
 
とりあえず、席に座って出発を待つ。
 
私は窓際に座り、隣が津元が座った。
 
硬座は想像したより硬い。
 
お尻の下のクッションなんてほとんどない。
 
申し訳程度のスポンジは入っている程度。
 
それにビニールシートが張られただけのもの。
 
背もたれは直角に立っている。
 
3人掛けの座席が向かい合わせ、それが窓の両側に並んでいる。
 
これで37時間かぁ・・・。
 
席に座って待ってると、どんどん人が乗り込んでくる。
 
気が付くと車内は人でいっぱいになっていた。
 
席の無い人も沢山いるようだ。
 
席があるだけましなのかなぁ。
 
窓の外を見ると物売りがいろんな物を売っている。
 
瓶ビールも売っていたので2本購入した。
 
走り出したら旅の門出を祝って乾杯だ。
 
やがて出発時間となり列車は動き出した。
 
列車はゆっくりと動き出した。
 
そしていつまでたってもゆっくりだった。
 
そうはいっても歩くよりは速いだろう。
 
しばらくすると列車は広州の街を出て車窓から中国南部ののどかな風景が見え出した。
 
広い水田が広がり水牛が鍬を引いているのが見える。
 
列車内は冷房なし、車両の天井に扇風機がついている。
 
しかも扇風機は列車が停車している時しか回らない。
 
だから窓は全開だ。
 
動いている間は窓から風が入ってくるから扇風機はいらないということなのだろう。
 
確かに動いている間は窓から風が入ってきて涼しい。
 
合理的といえば合理的。
 
 
少し落ち着いてきたのでさっき買ったビールで乾杯しようとビールを手にしたのだが、あ!
 
栓抜きが無い!
 
あー、、、どうしよう?
 
困っていたら向いに座っているおっさんがテーブルの端を使ってうまく栓を抜いてくれた。
 
中国のビールの栓は日本のに比べて閉まりが甘いので結構簡単に開くのだ。
 
ビールの栓も開いたので二人で乾杯してラッパ飲み。
 
中国のビールは日本のビールと比べて少し薄く、しかもぬるい。
 
ぬるいのは中国に冷蔵庫が少ない無いからなのか、冷えたビールを飲む習慣なのか分からないが普通の店でも冷えたビールはめったに飲めなかった。
 
でもまあ、旅先の列車内で飲むビールはぬるかろうが薄かろうが、とにかく旨い。
 
暑さで喉も渇いていたということもあって、あっというまに飲み干してしまった。
 
さて、ビールを飲み終わった後、空き瓶はどうするか・・・?
 
私がどうしようか迷っていると正面に座っていたおっさんは私のビール瓶をよこせと手で合図する。
 
私は言われるとおっさんに瓶を渡すとおっさんは勢いよくその瓶を窓の外に投げた。
 
瓶は窓から地上に落ちて粉々に割れる。
 
え、、、それってアリなの?
 
食べ終わった後の弁当箱やお菓子の袋なんかも平気で窓の外に捨てている。
 
なるほど窓から列車の下を見るとゴミやらビール瓶のかけらやらが散乱している。
 
うーむ、この捨てられたゴミってずっとそのままなんだろうか?
 
いつか線路の両側にゴミで出来た長城ができるんじゃないだろうか?
 
うーむ、さすが中国だ、あなどれん。
 
と軽いカルチャーショックを受けているとおっさんが私にタバコを勧めてくる。
 
これは中国ではよく見る風景で自分がタバコを吸うときに必ず周りにタバコを勧める習慣があるようだ。
 
私は当時タバコを吸っていたので遠慮なくいただき吸う。
 
吸ってみる。
 
う、、、中国のタバコはきつい。
 
そして味はまずい。
 
日本のタバコと違って独特の風味がする。
 
私も旅行中日本のタバコが尽きてしまい、中国のタバコに慣れて平気で吸うようになるのだが、その時はまずくて吐きそうなくらいだった。
 
でももらったものをすぐ消して捨てるのも失礼なので我慢して適当なところまで吸って消す。
 
でも、しばらくしたらまた、タバコを勧められる。
 
今度は斜め前の人からだ。
 
違う種類のタバコだったが味はやはりまずい。
 
しかも今度は両切りタバコだ・・・。
 
私も日本でカッコつけて両切りタバコは吸ったことあるが中国のはかなり強烈だ。
 
それでもがんばって吸っているとだんだん慣れてくる。
 
郷に入れば郷に従え、早くも体や味覚が中国化していくようだった。
 
そして私も彼らを真似て彼らに自分のタバコを薦める。
 
日本のタバコが珍しいらしく、珍しそうにタバコを眺めて吸っていたが、どうも彼らには日本のタバコが合わないらしくすぐ消していた。
 
そんな感じでタバコを通して中国の一般人民との交流を深めていたのだがふとあることに気がついた。
 
車両の出入り口の上方に「請勿吸煙」のプレートがあるのだ。
 
これってもしかして、、、禁煙なんじゃ・・・?
 
でも誰も気にせず吸いまくっている。
 
実は禁煙だったとは、、、。
 
誰も注意しないだな。
 
てかみんな吸ってるもんなぁ。
 
あまり細かいこと気にしないほうがいいみたいだ。
 
ここは中国なんだから!
 
窓の外を見ると赤い田んぼに水牛がいた。
 
 
 
 
1987/08/01
広州駅で上海までの切符を買う
 
 
日の出前、津元と二人でホテルを出る。
 
まだ真っ暗な街をバックパック担ぎ広州駅めざした歩きだした。
 
昼間はあんなににぎやかだった通りも静かだ。
 
道路を走っている車も無い。
 
道の傍らを見るとなにか黒い塊のようなものがずっと駅まで続いているのが分かる。
 
目を凝らしてよく見るとそれはなんと人であった。
 
大勢の人たちが大きな荷物と一緒に座り込んだりうずくまっていたのである。
 
道沿いに駅まで何十人いや何百人といるのだろうか。
 
こんなところで何をしているのだろう。
 
良く見ると子供を連れた女の人もいる。
 
新作のファミコンソフトの発売でも待っているのか?
 
しかしどう見てもお金は持ってなさそうな人達ばかりだ。
 
日本に帰ってから知ったのだが彼らは農村から仕事を探しにやってきた人達であるらしい。
 
あまり、よい意味ではないがいわゆる盲流と呼ばれている人たちだ。
 
その当時は日本のテレビでも中国の開放政策で沿海部では経済の発展を、農村部でも国家に収めた後の残りの生産品は自由に売っていいという生産責任制で万元戸という人たちが現れて
 
きたと盛んに宣伝していた。
 
しかし広州で現実に見たのは開放政策からとりのこされ仕事を求め流れてきた貧しい農民たちだった。
 
まあ、そんなことは帰ってから知ったわけで、その時は、なんだこの人たちは!?ただ驚くだけであった。
 
不思議な光景を横目で見ながら重いバックパックを担ぎながら私と津元の二人はやっと駅にたどり着いた。
 
駅に着いたものの切符売り場の窓口には長~い行列。
 
切符を買うときは長い行列に並ばなければならないということは本などに書いてあったので多少は覚悟していたが実際その場に置かれてみるとうんざりしてしまう。
 
しかし、この先まだまだ長いのだからこんなところで負けるわけにはいかない。
 
中国人達と一緒に並びひたすら順番が来るのを待つ。
 
駅の中は薄暗いもっと明るい照明を付けられないのだろうか?
 
切符販売の職員はやる気なさそうにお金を受け取り切符とおつりを放りなげる。
 
いらだつ客の怒鳴り声が構内に響く。
 
そんな暗い駅の中で暗い気持ちになりながら待つこと数十分、やっと順番がやってきた。
 
切符を買おうと思い窓口の女性職員に言おうとすると、横から汚いおっさんが入ってきて窓口に顔を突っ込みなんだかんだ叫びだした。
 
このおっさん横入りする気か!頭にきたがおっさんのその異常なテンションと汚さに負けてしまい、なにも言えなかった。
 
窓口の彼女は彼女でそのおっさんに負けずワーワー言い返すことによりおっさんを撃退する。
 
おっさんはすごすごとどこかに消えていった。
 
中国ではワーワー言うたもん勝ちであることを僕たちはここで初めて知ったのであった。
 
おっさんが撃退されやっと切符を買うことが出来ると思って窓口の女性職員を見ると彼女は信じられないことを始めたのだ。
 
彼女はおっさんを撃退した後しばらく興奮した様子であったがすぐ落ち着きを取り戻し、机の下の方からなにかをとりだした。
 
そして何か細かい作業をし始めたのだ。なんだろうか?
 
それは何か編物を編み出したのである。
 
窓の外にはたくさんの人が切符を買いに来ているのにである。
 
彼氏のだろうか?それとも父親の?母親の?誰のでもいいから早く切符売ってくれー!
 
そう、これが当時の中国である。
 
駅の切符売り場に関わらずホテルでも百貨店でもこんな感じ。
 
共産中国では基本的にホテルも百貨店も国営でそこで働く人たちは公務員なのである。
 
駅の入り口には大きく「為旅客服務(旅客のためのサービスをする)」と書いてあった。
 
があれはいったい何だったのだろうか?
 
これが中国、これが共産主義国家なのか?
 
とは言えカルチャーショックを受けてばっかりじゃいつまでたっても前に進めない。
 
やはりここは中国、ワーワー言わなければ負けてしまう。
 
思いきって「上海!両張!(上海、二枚!)」と出来る限り大きな声で窓口に向かって叫んだ。
 
編物をしていた女性はめんどくさそうにこっちをちらっと見て早口で何か言った。
 
何を言っているのか解らない。
 
解らないからとにかく「上海!両張!」と何度も叫びつづけた。
 
しかし、窓口の女性は怒ったような口調で何か言うばっかしでなかなか切符を売ってくれない。
 
うーん何だろうか?
 
そうこうしていたら、後ろにいた中国人のオヤジが何かを手に持って僕のほうに見せて「シェンフェンジョン、シェンフェンジョン」と言っている。
 
オヤジの手には顔写真の入った運転免許証のようなものそこには「身分証」と書いてあった。
 
ふーむ、、、。
 
そうか、解った!中国では切符を買うとき身分証を見せなければ買えないのだ。
 
うんそう言えば旅行ガイドにそういうこと書いてあったような気がした。
我々は中国人ではないから身分証と言えば当然パスポートのことだ。
 
しかしパスポートを出すと外国人であるのがばれてしまい、外国人料金を取られてしまう。
 
しかも外貨券で払わせられるかもしれない。
 
でもパスポートしかないし、しょうがないのでパスポートを窓口に出した。
 
窓口の女性は怪訝そうな顔でパスポートと僕の顔を見比べていた。
 
そして、寝台か座席か聞いてきた。
 
私は2等寝台にあたる硬臥が無いかと聞くと、「没有メイヨー(無い)」とあっさり言われた。
 
中国の長距離列車はコンパートメントの1等寝台に当る”軟臥”と2等寝台に当る”硬臥”、そして硬い座席である”硬座”に別れていた。
 
どれも買えない場合は”無座”つまりそのへんに座りこむか立っているかだ。
 
当時普通窓口に並ぶと、なかなか”硬臥”や”軟臥”の切符は取れなかったが外国人であることがわかると”軟臥”はわりとスムーズに取れた。
 
しかし”硬臥”は外国人であることをアピールしてもなかなか取れない一説によるとほとんど裏口で知り合いやコネのある人間に売ってまい、残りをCITS中国国際旅行社を通して外
 
国人に売っているらしい。
 
我々は”軟臥”のような高級な旅をするつもりはなかったのですかさず”硬座”を買ったのであった。
 
その時はまだその”硬座”の恐ろしさを知らなかった。
 
切符は人民元で払うことが出来たがやはり外国人料金を取られてしまった。
 
当時は外国人が飛行機や列車に乗る時、中国人民よりも高く設定されている外国人料金で切符を買わなければならなかった。
 
まあとにかく切符を買えたのだから、とりあえず上海へは行けるだろう。
 
寝台じゃなくてもまあなんとか椅子でも耐えられるだろう。
 
なーんて、まだまだ甘い考えを抱いていた。
 
 
 
1987/07/31
雨のち晴
香港から大陸へ
 
朝、旅行会社に行くともうビザが取れていた。

日本の中国大使館で取ると1ヶ月しか取れないが香港では3ヶ月のビザが取れる。

IMG_0001_.jpg
 
もう香港には用はない。
 
パスポートを朝受け取り、その日に大陸に行くことにする。
 
大陸へは地下鉄に乗って九龍駅から大陸との国境の町、羅湖(広東語発音でロウ・ウー)まで向かう。
 
地下鉄は途中から地上に出て九龍地区を抜け郊外へ。
 
乗客は普通に通勤や通学の人たちがほとんどのようだ。
 
車窓からはバナナの木や名前も知らない南方の植物が見える。
 
その植物の間にポツポツと2階建て中国建築の田舎の家屋が見える。
 
中には青天白日旗を掲げている家もある。
 
やがて羅湖に着く。
 
もうそこは国境である。
 
香港からの出国は簡単で出国のスタンプを押してもらいゲートを出る。
 
 
橋を渡ればもう中国だ。
 
国境の橋と言ってもそんな大した物ではなく、長さはほんの数メートルで屋根がついていてフェリーの桟橋のような橋であった。
 
出国のを済ませた大勢の人たちは我先にと走り出す!
 
たいていの人達は大きな荷物を持っている。
 
その大きな荷物をかついで走り出す。
 
おそらく香港で仕入れた服や雑貨、電気製品などを大陸に持ち込んでひともうけしようとしているのだろう。
 
当時の中国はまだまだ資本主義国の品物が不足していて電気製品やら服やらを持ち込んで売れば一財産稼げたらしい。
 
中国の開放政策はまだ始まったばかりだった。
 
その大勢の人達に押されるように走ると、やがて中国側の入国税関に着く。
 
そこで入国時の持ちこみ品を記入する紙を渡され必要事項を記入し、入国検査するところにいく。
 
そこは中国人・香港人用、華僑用、外国人用と三箇所に別れていた。
 
当然我々は外国人用のところに行く。
 
係員は公安の制服を着た小うるさいおばさん。
 
なにかワアワアわめきだした。
 
何を言ってるかわからん。
 
訳がわからん。
 
うう・・・ど、どうしよう。
 
やっぱ台湾のビザがパスポートに押してあるからか?
 
かなり緊張した。
 
以前、台湾に行ったとき台北にある中山記念堂という孫文の記念館みたいなところに見学に行ったことがある。
 
そこに大陸では人民がいかに悲惨な目にあってるという展示を思い出した。
 
ひょっとして強制労働?思想改造?
 
あるいは・・・。
 
私の頭の中でグルグルと悲観的な妄想が渦巻いた。
 
私は何を言っていいか分からず「あうあう」と日本語にも中国語にもならない言葉を発している。
 
おばちゃんは「ったく、しょーがねーな」というような顔をしてパスポートにスタンプを押してくれた。
 
そして、無事そのまま通過できた。
 
ふー、一時はどうなることやらと思ったが、、、。
 
税関を出るともうそこは香港ではない共産中国であった。
 
大陸側のボーダーの町は深セン(土偏に川)シェンジェンという町だ。
 
改革開放前までは何もない農村だったらしいが、改革開放後は経済特別区になり市場経済が実験的に導入されている。
 
既に大きなビルが立ち並び当時イメージする中国大陸とは大違いだった。
 
まあ我々は別にビジネスで来ている訳でもないのでそこは素通りして、すぐに列車に乗り一路、広州に向かった。
 
列車は軟座という上等車両に乗った。
 
軟座といってもフカフカのソファーというわけではなく日本で言う特急列車の指定席といった程度。
 
逆に硬座といって申し訳程度のスポンジの入った席で背もたれは直角という席もある。
 
私もこんな快適な列車だったら寝台じゃなくても2日くらい耐えられそう、なんて甘いことを考えていた。
 
これから後、上海までの48時間が地獄になることなど想像だにしなかったのだ。
 
広州につくと早速、金を中国元に換えなければならない。
 
銀行が見当たらないので大きなホテルで交換した。
 
交換して渡されたのはいわゆるワイホイ(FEC又は外貨券)というやつだ。
 
今ではもう廃止された外国人専用通貨である。

dakanken_omote.jpg

dakanken_ura.jpg
 
 
北朝鮮ではまだこういうのがあると聞いている。
 
この通貨は中国人も使えるが一般人には、なかなか手に入らない。
 
建前では人民元と価値は同じであるが実際は当時で人民元の1.3~1.5倍くらいの価値はあった。
 
外貨券があれば質の良い外国製品を買うことができるのでお金を持っている中国人はのどから手がでるほど欲しいのだ。
 
外国人がホテルの宿泊代や列車の切符を買うときなどはこのお金を使わなければいけない。
 
でもまあ街で買い物したり食事をするときなどは人民元で払えるのでたいていのバックパッカー達は闇両替をして人民元を手にいれそれを使っていた。
 
ただ、ホテルや航空券を買うときは外貨券でないとダメなのですべて交換せずにその分の外貨券だけは最低確保しておかなければならなかったのだった。
 
そういうことで我々は人民元を手にいれるために一部闇両替をした。
 
交渉相手は怪しげなおっさんだ。
 
私たちは富山さんに全てを一任し交渉にあたってもらった。
 
富山さんは台湾でならした中国語と現地の中国人にも負けない怪しげな話術を巧みに使い交渉を始める。
 
なんだかんだで十分くらい話してただろうか?
 
おおよそ1.5倍くらいのレートで交渉は成立した。
 
さすが富山さんである。
 
しかし、この後、彼にとんでもないことが起こってしまった。
 
「あ!。。。大変じゃ大変じゃ!」
 
広島出身の富山さんが顔を真っ青にして叫びだした。
 
あれほどみんなをリードしていた富山さんがパスポート、T.C等貴重品の入ったセカンドバックをどこかに落としてしまったというのだ。
 
さすがの富山さんも初めての大陸で多少は舞い上がっていたようだ。
 
中国の広州で落としたらまず見つからないだろう。
 
しかし、さすが富山さんである。
 
すぐに落ち着きを取り戻し、現地の公安を見つけなにやら話をはじめた。
 
近くにいた私のほうが動揺し何をしてよいかわからずそばでぼーっとしていた。
 
どうやらホテルで両替したときどこかに置き忘れたようだが、どこに置き忘れたかまったく覚えてないという。
 
そして、2時間ほど待った結果、奇跡的に公安に届けてくれた人がいて無事見つかったようだった。
 
まったく運がいい人だ。
 
こういう強烈な個性を持った人には運もついてくるんだろうか?
 
富山さんの強運は台湾での話ではよく聞いていたが、大陸でもその強運は変わらないようだ。
 
富山さんの紛失騒動も無事解決し、その日は宿泊先のホテルのレストランで夕食をした。
 
食事内容は麻婆豆腐となんか適当に頼んでみんなで箸をつつく。
 
味は・・・うーむ微妙。
 
私は未だどこに行くか決めていなかったのだが津元がシルクロード方面に行くというのでそれって面白そうって乗りで津元の一緒にウルムチまでに行くことになっ
 
た。
 
そしてとりあえず明日朝、上海へ向かうことにした。
 
富山さん含め他の竹本、山岡の二人は各々別々の場所へ向かう。
 
明日からはみんなそれぞれ別行動、別れの晩餐であり旅立ちの晩餐でもあった。
 
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